主観的 subjectivity 2004 3 31

 ビデオ録画したデータは、客観的であるが、
ビデオ編集は、編集者によって、主観的になる。
 それは、こういうことです。
たとえば、多くの仲間と旅行に行く時に、旅行の記録として、
ある人が、ビデオカメラで録画して、みんなに配るとします。
 さて、録画した時間が、5時間分もあるとしたら、
それを編集して、短くする必要があるでしょう。
いくら旅行の記念だからといって、
5時間分のビデオ録画をもらいたくないでしょう。
 だから、5時間分を、
たとえば、30分程度に編集して、短縮する必要があります。
 そこで、多くの旅行仲間から、好評を得たいので、
つまり、視聴率を高めたいので、
おもしろい部分だけ残し、平凡な部分はカットするでしょう。
しかし、ここに、編集者の主観が入ることになります。
 編集者にとって、おもしろいと感じても、
ある人にとっては、つまらないかもしれない。
 さらに、多くの人が、おもしろいと感じるシーンでも、
ビデオに映っている本人にとっては、不愉快に感じるかもしれない。
もう、二度と、あのグループとは、
一緒に、旅行には行かないと思うかもしれない。
 しかし、編集者としては、誰からも文句のでない編集をすれば、
おもしろくない、平凡なビデオができるでしょう。
 だから、どうしても、インパクトのある部分を強調したり、
愉快な部分を強調したりするでしょう。
 編集者によっては、
「俺が、一番、偉いのだから、文句は言わせない。」と思うかもしれません。
このように、ビデオ編集を、客観的に行うことは、なかなか困難でしょう。
 実は、これは、テレビ局でも、
同じことが言えるでしょう。
 ビデオ撮影した時間は、膨大な量でしょうが、
放送できる時間は、短ければ、数分、長くても、1時間でしょう。
だから、ビデオ編集して、大幅にカットする必要があるでしょう。
 そうすると、何をカットし、何を残したかが、重要です。
ある人が、テレビ局にインタビューされたのですが、
本当に言いたかった部分がカットされて、
前置きの部分だけ放送されて、がっかりしたという話を聞きました。
しかし、テレビ局も、民間企業ですから、
どうしても、視聴率を稼ぐ必要があるのです。
 客観的な編集を確保することは、困難かもしれません。
そういうことを、友人に話したら、
「主観的でもかまわない。
もともと、テレビは、ショービジネスだから。」と言っていました。























































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